株式会社ホクガン

【会社案内】歴史

~1980年代

原点

  • ホクガンの原点
ホクガンの原点
1967年の創業以来、生活する上で欠かせない「食」に関れてきたことは、この上ない喜びと感じています。振り返ると私は、北岸冷凍合資会社を立ち上げる前から「食」一筋に歩んでまいりました。私は上原家の長男として喜界島で生まれ、小学校6年生の時に漁師の街で知られる沖縄県糸満に移ってきました。戦後間もない当時、毎朝3時に起きて近所のかまぼこ工場に出かけ、かまぼこを自転車の荷台に積み、コザ(現在の沖縄市)あたりまで配達をしていました。食糧の乏しい時代にあって、私の朝食替わりでもあったできたてのかまぼこの味は今でも忘れられません。両親は、現在の糸満ロータリー付近でマチャーグワー(小さな売店)を営んでいました。「新幸地売店」です。缶詰めや米、そして、豚の飼料としてバラカス(大豆の搾りかす)などを販売していました。当時はどこの家でも豚を飼っていましたので、このバラカスがよく売れました。私は長男でウーマクーだったこともあり、両親は「早くから社会に出そう」と、15歳のときには丁稚奉公として那覇に出されました。その後、17歳には米の卸業として独立し、南部一帯をまわりお米を卸していた時期もありました。

1982年3月

  • 北岸食品株式会社からアンマーフーズ株式会社に商号変更
北岸食品株式会社からアンマーフーズ株式会社に商号変更
その後、本土復帰を経て、日本はもとより、海外からも食糧が入ってくるようになり食糧の供給も安定してきた頃、ふとあることに気がつきました。食の欧米化です。昔ながらの沖縄の家庭料理が失われていく中、沖縄県民が食べるものは自分たちで作るべきではないか。自分たちで作るということは雇用にもつながる。そのためにはブランドを作らなければいけない。そう思い社員に呼び掛けたのですがこれといったものが出てこない。そんな時、車を運転していてふと思いついたのが「アンマー」という言葉でした。アンマーとはウチナーグチでお母さんのこと。シンプルで分かりやすく、万国共通で親しみやすい。「これだ!」とピンときました。そして出来たのが、バーキ(かご)を頭の上に乗せたアンマーのキャラクターです。糸満では、男は海に出て漁をする生産者だとすれば、夫の捕ってきた魚を買い取り売って歩くアンマーは、財布を握る大蔵大臣であり流通業者の役割も担ってきました。アンマーは強く、たくましく、そして、やさしく、あたたかい。まさに私の母そのものでした。小学生の頃、学校から帰ってくると、ただいまの代わりに「アンマー」と言いながら帰宅した記憶があります。アンマーそのものが家庭だったのです。だからこそ「アンマー」ブランドに私の食への思いを込めました。アンマー印のブランドを作ると同時に生産工場も建て、仕入れ販売業から加工業へと事業も拡大し、手始めにかつお削り節を手掛けました。

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